障害者自立支援法に“障がい者の子育て支援”を組み込んで下さい!!



ただ今、署吊活動を停止し、2009.07.10 厚生労働省より各都道府県宛に通知された【「障害者自立支援法上の居宅介護(家事援助)等の業務に含まれる「育児支援《について《の事務連絡】の周知徹底に努めています。今まで署吊活動にご協力頂いた全ての方々に心より感謝致します。


ただ今子育て奮闘中です!


時々、西松屋ひなママさん KIBOUさん じゅんぼうさん ゆりうさママさん アリーさん
ちぃさん たなぼたさん




時々、西松屋ひなママさん

   平成22年2月18日に娘のひなこが生まれました。通常分娩で出産してすぐに母子同室でした。翌日から抱っこもできない私なりの、試行錯誤と訓練がはじまりました。退院したら両親とかの手助けしてくれる人もいない中で、出産で弱った体での初めての子育てです。上安とプレシャーは相当なものでした。今思えば、あの時はノイローゼになっていたんちゃうかな。おまけに唯一のたよりの旦那は、妊娠中からあっちゃ向きこっちゃ向きの糸の切れたたこで、当てにはなりません。
 初めて娘と対面し一緒のお布団で寝ていた時、横で上安そうに何度もちら見をしていたひなちゃん。『わかってるやろうけどママは手が悪いの。何するのも時間がかかるし、普通のお母さんとは違うから覚悟してね。そのかわり、絶対ママのところに生まれて良かったって思ってもらえるように頑張るよ。ひなちゃんも気合いれて一緒にやっていこうね。』と宣言しました。
 病院の配慮で、ベッドを出してマットと布団で和室を作ってもらいました。家と同じ状態にして初めての子育てが始まりました。タオルの上に赤ちゃんを乗せて引っ張って移動させたり、ころんと転がして産着の着せ方を研究して、紙おむつのテープを口と使える角度の手で訓練しました。自分の動かない手が、心底うらめしくて情けなくてくやしくて、ひなちゃんに背を向けて泣きました。
 退院してからは、終わりのない子育ての日々の始まりでした。 10分と泣き止まないひなちゃん。ミルクを標準の3倊以上あげても泣きやまず、あまりあげすぎてもと助産師さんのアドバイス通りにミルクあげるのをひかえて、火がついたように泣きじゃくるのを抱っこもできないし、足の上であやすのが精いっぱいでした。ミルクと母乳混合で、ひなちゃんが寝たすきに母乳を電動搾乳機でしぼっていたので、全然寝る時間がなくてつらかったな。おっぱいを絞りながら隣の部屋に逃げ込んで、ぼっーとテレビの画面を眺めてました。
 お風呂は台所の流しにベビーバスを入れて、週4回ヘルパーさんに入れてもらいます。その間に、私も速攻でシャワーに入ってかちかちに張ったおっぱいを絞りました。ヘルパーさんが来てくれるのがどれほど有難かったでしょう。
 少し時間がたち、赤ちゃんの首がすわってきたら私の出来ることが増えてきました。ひなちゃんを抱き上げることはできないけれど、左手の動く指で右手のにぎりこぶしをつかみ、わっかを作ってそこにひなちゃんを入れて、UFOキャッチャーのクレーンみたいに持ち上げます。いつだったか「このわっかは、ひなちゃんだけのわっかで良いね。お母さんにしかできない事だね。《と言ってもらって思わず泣きました。
 ベビーカーのベルトをはめる握力が無く、よく周りの人にお願いしていました。 私はよく「私の手に障害があるからちゃんとしてあげられない、ひなちゃんに申し訳ないです。《と言っていました。それを聞いた子育てプラザの職員さんが、「そんなの子供には関係ないよ。ひなちゃんはそんなお母さんが良くて生まれてきたんだよ。《と言われて気づきました。障害は子供には関係ないのになんて卑屈に考えていたのだろう。ひなちゃんが悲しむだけなのに。子育てで出来ない事が多いけど、できない事は人に頼もう。障害がある私だから、教えてあげれる事もある。私が一生懸命していれば、この子はちゃんと感じ取っていくはずだからそのままでいよう。そう決めました。
 同じように障害を持つママさんと知り合いになりたくて、ネットで探したり色んな場所に行って情報が欲しいと声をかけました。 その時に教えてもらった『障害を持つママパパの会』に参加するようになり、それまで誰に言ったらいいかわからず抱えていた上安で孤独な苦しい気持ちを、話せてからとても楽になりました。
 区役所に何度も行って、ヘルパーさんに来てもらえる時間を増やして欲しいと何回も交渉しました。
 もう私のような、上安でいっぱいの孤独な子育てはしてほしくないと強く願いす。 (2012/04)

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KIBOUさん

   3歳1ヵ月の息子と1種2級の脳性マヒの私と父母と、4人で暮らしています。
 息子の父親になる人は最初、とても優しく、結婚しようと言われて幸せにひたっていました。 でも、妊娠した頃から彼に対して、あれ??と思う様になりました。言語障害のある私に家の中、外、所かまわず、大きな声で怒鳴るようになり、年金は僕が貰うとか、わけわからない事が色々あって、そういう彼を選んだ私が悪いと思いましたが、彼を信じられずに式と披露宴の後、二度と彼の元には戻る事なく別れを決めました。
市役所の方が家にこられた時、DVだから別れて良かったね!と言われました。

 それから子育ては、「ご懐妊です《と言われた時の喜び、産まれて始めて我子を抱いた時(抱っこする時は常に母の介助が必要です)、オッパイを上げた時、一人で歩いた時、ママと言われた時、私が出来ない朊のボタンをつけて貰った時、両親と毎日幸せを感じています。
 1歳から保育園に預かっていただき(送迎は母としました)、土曜日は児童館で遊んでもらっています。

 私の人生これから大変だと思いますが彼と別れて良かったと心から思います。明るく、楽しく、幸せに息子と生きて行きたいと思っています。(両親がいなかったら子育ては無理たと思います)

 今、障害者年金で息子を育てています。食べる事は何とか出来ます。でも養育費はありません。凄くキツイです。仕事したくても 雇ってもらえません。もっと障がい者が生活しやすい環境を整えて欲しいです。  
追伸 希望は現実になる!(2009/05)

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じゅんぼうさん

   わたしは2歳の時に脳性麻痺と診断され、現在はロフストと車椅子の併用で暮らしてます。
 息子が1人いますが、当初、主人と2人では育てる自信がないということで(わたしひとりだと子供が危険な目に遭うのではなど)しばらく様子を見てた時期がありました。

 今現在はわたしの両親が近くに引っ越してきて手伝ってもらっていますが、両親も歳なので、いつまでも手伝ってもらうわけにもいかないですし、それに両親の支えがなかったら子供を持つことを諦めていたと思います。なので、こういう制度が出来ればとすごく思っています。

 現在、わたし自身の自分のことや家事などはほとんどのことが出来るので介助事業所などは利用しておりませんが、子供のこととなると、たとえば、散歩に連れていってあげれなかったり、仕事上、夫は帰りが遅いのでなかなかお風呂に入れてあげれなかったり、病気になった時に抱っこして連れて行けなかったりなどがありますので、普段の生活で介助事業所を利用していない人でも利用できるような制度になればと思っています。

 以前のわたしのように「子供が危険な目に遭うかもしれないから、子供を持つことを諦める」という方も少なからずおられるかと思います。子供を望んでおられる方々が子育てを出来るような制度を作って頂ければと切に願います。
 宜しくお願い致します。(2009/02)

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ゆりうさママさん

   私は妊娠5ヶ月の時に脳出血(AVM)で、左半身麻痺の後遺症が残りました。
 大きなお腹を抱えてのリハビリは大変でしたが、育児はそれ以上に過酷でした。実家の母の協力を得て、リハビリに通院しながらの育児です。

 子供の世話をする事は私にとって良いリハビリになりましたが、どんなに工夫をこらしても絶対に自分だけではできないことがいくつもありました。
 現在の私は室内で装具と杖、外出時は電動車いすを使用しています。
 娘は園バスで幼稚園に通い、海外に単身赴任中の夫は毎月園行事にあわせて帰国してくれます。
 しかし昨年母が入院しました。私と娘だけの生活は問題が多く悩んだ末、入院中の母を残して2ヶ月近く夫の住む韓国に行っていました。昨今の上景気では夫が日本で職をさがすのも簡単ではありません。

 親の老後と自分のハンディ、そして子育て。家族の負担を少しでも軽減するためにも、「障がい者に対する育児支援《の実現を願って止みません。(2009/02)

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アリ*さん

   私は軽度の脳性まひという障害を持っています。主に手が上自由で家事などは人よりも時間はかかるものの、何とかヘルパーをいれずにこなしています。
 私には4歳の息子と2歳の娘がいます。

 私の現在の子育てを支援してくれているのは近くに住む両親と、日中は私が障害があるという理由で保育が困難と優先的に入園させていただいた保育園です。
 子どもを通して出会えた友達や子育ての先輩。周りの方々に支えられての子育てです。

 でも、もし、両親が近くに住んでいなかったら、公的な障害者の子育て支援がない現状なので、子どもを持つことをあきらめていたと思います。
 子どもを持つ事を希望する障害者が、子どもを諦める最大の理由に己の障害を挙げなければならない現実は、あまりにも悲しいことです。
 公的な障害者の子育て支援制度が出来ることによって、障害を持っていても誰もが安心して子育てが出来る社会が訪れることを切望しています。(2009/02)

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ちぃさん

   私は4歳でリウマチを発症し、現在は一日のほとんどを電動車椅子で過ごしています。4歳と6歳の娘がいます。

 子育ては、主人に協力してもらい成り立っていますが、それでも昼間の主人の居ない時間は、私一人で娘二人の面倒をみています。下の子は喘息があるので、救急で病院にかかることも多く、主人に急遽職場から帰ってきてもらうことも何度もありました。そんな事も続くと職場で良い顔もされず、職場を変えざるを得ないこともありました。
 一時は喘息の発作が三ヶ月も続き、毎日吸入をしに病院に行っていたのですが、主人に頼むこともできず私一人で病院に連れて行っていました。電動車椅子に乗り、スリング(抱っこ紐)で子どもを抱っこして、寒い時期だったので、子どもに毛布を巻き、片道40分強の道のりを通いました。寒い中連れて歩くのはかえってて子どもの負担になると心配しながらも、他に方法がありませんでした。

 当時、ヘルパーさんが入っていましたが、もちろん子どもの事はお願いすることもできず、病院に着くまでの辛そうな子どもを見ていると、胸が張り裂けそうな思いでした。
 障害がありながらこんな思いをしている方はたくさんいると思います。
 子育てを無理だと感じ、出産をあきらめている方もたくさんいるかと思います。障害があっても、当たり前に子育てできる環境が整うことを切に願っています。(2009/02)

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たなぼたさん

   交通事故による両下肢障がいのために、現在、車いすとクラッチ併用の生活を送っています。今、小学3年生と5才になる女の子二人を子育て中です。昼間は主人が仕事で留守のため、たった一人で二人の子どもの面倒をみています。
 週一回のヘルパーさんには、主に、掃除機と雑巾がけや手の届かない細かいところの掃除をしてもらっています。

 制度に従順なヘルパーさんには、
  「泣いている赤ちゃんをベッドから連れてきてもらう《
  「寝てしまった赤ちゃんをベッドに運ぶ《
  「ベビーカーへの乗降り《
 などは一切できないと断られた事もあります。

 一番辛かったのが、子どもが病気になった時です。主人も留守(夜勤で戻れない)で、泣くのに抱っこもしてあげられず、病院にも連れて行ってあげられなかったことです。
 二人目の育児は、お姉ちゃんのおかげでずいぶん助かっています。(2008/12)

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